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 命令を受けたバルチュ大佐とブラウン大佐は、要塞南面に対するクリーズ渓谷とパリへの街道(現・国道N2号線)の間、郭壁まで700m付近に更に2個の肩墻砲台(第9、10号)を構築し、ここへ第1と第8号砲台にいた野戦砲兵両中隊を配置することにしました

ブラウン大佐は同時に新砲台付近の前哨用散兵壕に工兵と作業補助兵を送り込み、幅を広げ掩蔽を高く設えた重対壕に改造するよう命じるのでした

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 同日(15日)午後8時、すっかり暮れた闇の中、バルチュ大佐らは第9と第10砲台の築造を開始しました

すると夕刻より攻囲兵団の動きを観察していたドゥ・ヌ中佐ら守備隊首脳陣は「最早ここまで」と開城することに決し、対抗砲撃や銃撃一切を中止させ、白旗を掲げた使者をメクレンブルク大公の本営へ送り出しました

 攻囲側も白旗を見ると直ちに砲撃を中止し、開城交渉の行方を見守ります

 交渉は全権を託された大公の参謀長パウル・カール・アントン・フォン・クレンスキー大佐(普墺戦争ではあのフランセキー師団参謀長)がドゥ・ヌ中佐らと行い、夜半過ぎ(16日早朝)開城条件が合意されました

降伏条項は数日前に普大本営から大公に宛てて送られた訓令に従い、セダン、トゥール、ストラスブールの各要塞開城の条項と全く一緒となりました

 降伏した仏軍兵はおよそ4,800名となり、士官は例の「紳士協定」で直ちに釈放、既に独軍の占領地となった各地から参集していた護国軍兵士約1,000名もまた「戦争中再び武器を取らず独に反抗しない」との一筆を以て帰郷を許すのでした

 その他の兵士らは全て捕虜となりましたが、降伏条項で定められた刻限である16日の午後早くにソアソン要塞の「ランス(Reims)門」(要塞第9と第10稜堡間にあった門)から出て来た兵士たちは多くが泥酔状態で足取りも覚束ず、僅かに残った「不戦の誓い」を拒否した士官や下士官の言うことも聞かず、秩序は無いも同然でした

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 この捕虜たちは直ちにユーターボーク後備大隊が護送部隊となってシャトー=ティエリに向かいますが、夕暮れ時、護送の縦列がフォン=ジャンの森(シャトー=ティエリの北14キロ)に差し掛かった時、仏義勇兵が襲撃を行い、護送隊と交戦している間におよそ300名が脱走に成功しています

ソアソン ラン門(Porte de Laon/第1と第11稜堡間にあった門) 16日午後、フリードリヒ・フランツ2世大公はソアソン要塞へ入城します

 一緒に入城した普後備部隊は、要塞の第7、第8稜堡間の郭壁がすっかり崩落しているのを見、その後方にあった市街地にも大きな被害が及んでいるのを見て、改めて普軍攻城砲の破壊力を知るのでした

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攻城砲榴弾が原因の火災は兵営や公共施設を焼失、破墻孔は幅が30mもあり、前述通りその後方の防御諸施設も破壊と火災で機能不全となっていて、もし要塞が降伏しなくても普軍はこの「穴」から要塞に雪崩れ込むことが可能となっていたのです

 9月24日から10月15日までの「ソアソン攻囲兵団」の損害は、戦死が下士官兵10名・馬匹4頭、負傷が士官7名・下士官兵95名・馬匹7頭、行方不明が下士官兵6名となり、合計で118名・馬匹11頭でした