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勇躍戦場にやって来たマローシッチ司令官は手始めにベルヴェデーレの丘へこの二個旅団を全力投入、イタリア第9師団は、一気に丘を駆け上った敵旅団の銃剣突撃を受けてしまいました

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こうしてマルモラの下した撤退命令を知らなかったゴボーネの第9師団はたまらず敗走に移りました

ジョセフ・F・マローシッチ 同じ頃クストーザの南では、オーストリア第9軍団ハーツィング司令官が部隊を二つに分け、一つは南から来るであろうイタリア第2軍団への対処のために残すと、もう一つの部隊でクストーザ南方に残っていたイタリア第3軍団所属の第8師団を攻撃し、多くの捕虜を得ます

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既にこのイタリア軍部隊は戦意を失っていました

 更に北のサンタ・ルチアを片付けたオーストリア第5軍団も駆け付け、イタリア軍は雪崩を打ってミンチョ川へと退却して行きます

 午後5時

早朝、この戦いの最初に突撃を敢行したプルツ大佐らの騎兵たちがイタリア軍を追撃し更なる出血を強いて、長かった一日を締め括りました

 マルモラが待ちわびていたクージャ中将の第二軍団は、昨夜の雨で泥沼と化したミンチョ河畔の沼地で渋滞し、結局決戦には間に合わなかったのです

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「戦いの後、クストーザの惨状は思わず目を伏せるもので、田園の一軒家は炎を上げ、その周りには死体が積み重なり、また、部落の至るところに重傷で死にかけた兵士や、手足を失って動けなくなった者が溢れていた」(普墺戦史・オーストリア参謀本部編/意訳)クストーザの戦い この戦いでのオーストリア軍の損失は7,956人(内捕虜は1,500人)、イタリア軍は8,145人(内捕虜は4,000人)

 勝ったオーストリア軍の死傷者が多かったのは、イタリア側が丘陵などの上に陣取って防戦一方だったのに対し、丘を登りながらの銃剣突撃が多かった事が理由として上げられます

 そして、この勝った側のオーストリアの死傷者が多かったという事実、銃剣突撃の多用が、十日ほど後に重大な結果を招くことになるのです

 さて、この戦いは大きな波紋を呼びます

 ヴェネト南側で、ようやくポー川を越え、更に北のアディジェ川(上流に行けばヴェローナ)を目指していたエンリコ・シャルジーニ大将の「ポー川方面軍」は「クストーザの戦い」に本軍のミンチョ川方面軍が敗れたことを知ると、前進を止めます

 合撃のパートナーが敗退すれば、次は一対一の戦いです

しかも敵は12万の味方を半分ほどの兵力で破ったのです

ポー川方面軍はおよそ8万人

将兵の間にこの「本軍破れる」のニュースが駆け抜けると、彼らはたちまち戦意喪失